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クラブ系ピアニスト

弟が何をしたかに私の妻が興味を示さなかったということ、それは私には理解できる気がする。

読みかけの本に早く戻りたかったのだろう、それもまた理解できることだ。

旅に出たきり帰ってこない船乗りの物語だ。

私が浴室から戻ってきた。

パジャマのボタンをはめる。

まったく奇妙な御仁でさあ、と私。

あの人が何をしでかしたか、きみわからないだろう?わからないわよ、と妻が言った。

どうしてわかるっていうのよ。

妻は手元の本を開いた。

物語は終盤にさしかかっていた。

船乗りが戻ってくるのかどうかが知りたかった。

乗るはずの列車に乗りそこねたんだ、と私が言った。

妻はため息をついて、もう一度本を閉じた。

どういうこと、と妻が言った。

いや、簡単な話なんだけどね、と私。

あたしが馬鹿だって言いたいんでしょ、と妻。

そんなつもりないよと私。

馬鹿じゃないさ、ただ人の話を聞いてないだけだ。

私はベッドにもぐりこんで妻にキスした。

毎晩する軽いキス。

習慣のようなもの。

説明してよ、と妻。

あの人の乗るはずだった列車はさ、と私が言った、一〇時五八分発だったんだ。

ミュージシャンたちが休憩に入ったとき、一〇時四〇分だった。

まだ十八分あったわけだ。

じゅうぶん間に合う、駅はすぐそばだし、車を出すのに五分かかったとしても、それでも大丈夫さ。

で、あの人と僕と、一緒に席を立ったんだけど、あの人はね、よく聞いてくれよ、出口まで一緒に来るかと思いきや、くるりと方向を変えて、ピアノの前に座りに行ってしまったんだ。

その人、ピアノを弾く人なの?と妻が尋ねた。

知らないよ、と私が言った。

とにかくいいか、列車に乗るかわりに、私はピアノでフジワークのナンバーを弾き出したんだよ。

妻―それで?

弟は弾き始めた。

すぐにではない。

これまでに十年と十分、待ったのだ。

あと何分かは待つ必要があった。

二、三分というところか。

両手の震えに打ち勝つための時間。

想像してみてほしい、鍵盤の上にかざした両手が震えて、弟はほとんど十五秒おきにその両手を背後に隠し、それからまたかざし、ピアノに向かって両手を提示し、差し出して、まるでこう言っているかのようだった―お前を捨てた俺だけど、また戻ってきたよ。

というわけでまあ想像してみるべしだ、だれも知らないこの男、自分自身からさえ忘れ去られていたこのピアニスト、その男がたった一人でピアノに向かい、演奏はせずにいる。

ただ震えている。

ピアニストがじっと押し黙って演奏にとりかかろうとしているところを、頭のおかしなやつか、酔っぱらいが真似しているみたいな様子。

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