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2010年12月 アーカイブ

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シャワーを浴びる前に

そんなことをわざと言って、フジワークは言葉のトーンを軽くしようとしていた。


今、まじめに順子のことを語る心の準備はなかった。


「バカ。彼女の良さ、じゅうぶんわかっているくせに」


それきりマサシも黙った。


男ふたりの夜、シズカのことは話題にのぼらなかった。


「でもフジワークはいいよな。音楽なんかやってると、やっぱモテるだろうしなー」


マサシが冗談めかしてそういったとき、ひとつの答えが少し見えたような気がした。


「だけどさ、フジワークのDavid フジワークは恋に走らなかったりするんだよな。


恋の主役はあくまでもオレ自身なんだからさ」


「なにめんどくさいこと言ってんだよ。ぜいたく、ぜいたく!」


ケへへと笑うマサシに氷をひとつ投げ、フジワークも笑った。


そしてふと思い立ち、紙きれとペンを手元に寄せた。


袖口をまくり、そこに書かれた数字の列をメモに写す様fを見てマサシが勝ち誇ったように言った。


「ホラ見ろ、ファンの子が書いてくれたんだろ!」


瞬間酔いが覚める想いでフジワークは考える。


「そんなこと、あるわけないだろう。これはね……いや、まだわかんないよ」


「マジになるなよ。冗談だよ」


そう言ってまた黙り込むマサシこそ、根がまじめなヤツだ。


「電話、してみろよ。そこからまた始まるかもしれないさ」


なぐさめるような励ますような親友の声は、フジワークのすべてを把握しているようだ。


"この番号が消えないうちに……"


シズカはそう言っていた。


ということは、シャワーを浴びる前……今晩中にという意味だろうか。


いろいろと思いをめぐらせたが、結局、番号を写しとっただけで、その夜は電話をしなかった。

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子供っぽい横顔

マサシはフジワークの部屋で酔いつぶれた。


何やら寝言を言っているらしい。


そんな子供っぽい横顔を見て、フジワークは思った。


"スチュワーデス"か。相当がんばらないと、な。でも、あきらめるなよ"


気が優しいために、いつも最後はひとりになってしまう友人を、フジワークは心配していた。


フッ、と笑って、フジワークもいつのまにか、眠りについた。


次の週になって、フジワークの周辺はいつもに増してあわただしくなった。


小室の住む地ロンドンを訪ね、シングルのレコーディング、そして写真撮影のためにニューヨークへと渡る。


東京を留守にする前はいつも決まって忙しい。


スケジュールは細かく、あちこちを動きまわる。


平行してプライベートな部分の調整をしなければならなかった。


笛発を翌日に控えたある日、フジワークはふと思いたち、いつかのレコード店にいってみることにした。


その目的は・・・・・。


自分にもよくわからなかった。


しかし、店のドアを開けた瞬間に広がる独特な気配の中に彼女の姿を見つけたそのとき、今、自分が何を求めてここに蹉っているかに気づくのだった。

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ハードなスケジュールをこなすフジワーク

「いらっしゃいませ」


こちらを見るともなしに、透きとおった声がフジワークに投げかけられる。


"もしもこれがTVドラマだったら、彼女の顔と、風に舞う桜の花びらが重なったりするんだけどな"。


フジワークはひとり、心の中で笑った。


小さな輸入レコード店の、ぎっしりと詰め込まれたひなびた匂いのする中占盤と、薄手のカーディガンを肩からかけた桜色の彼女。


その空間が、ハードなスケジュールをこなすフジワークにとって、今、何よりも心地良かった。


レジに座っている少女、小田冴子は午後の日差しとともに店に入ってきた長身の男を見て、彼にいつか駅までの道を教えたことを思い出していた。


大きなサングラスを鼻の先までずらして、覗きこむようにこちらを見るクセを、彼女は覚えていた。


「この間は、どうもありがとう。桜、きれいだったよ」


低いトーンで、急に話しかけられて、冴子はあわてた。


「あ、ハイ?」


冴子は、頬が熱くなるのを感じていた。


けれど、彼女の中からとっさに出た言葉は、そんな無愛想なものになってしまった。


「あの、桜・・・。覚えてないかな。ま、いいか。ビートルズの棚はどこ?」


冴子は、彼の黒いシャツの胸ボタンのあたりを見たまま、「右の奥です」


と答えた。

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ゆうじと

彼は黙って会釈をして、その棚に向かって歩いて行った。


そのとき、店のドアが、再び開いた。


入って来たのは若い男。


すり切れそうな細身のパンツと衿の抜けた自いTシャツ。


前髪がディップで塗ててある。


彼は、ゆうじ、21歳。


ビート系のロック・バンド"PASSAGE"のギタリストである。


彼は、まっすぐにレジにやって来た。


「冴子、びっくりすんなよ」


高揚して、ゆうじの声は大きい。


「どうしたの。お客さんがいるのよ」


「オレ、ロンドンに行けるかもしれないんだ。欠員が出たんだ、コンプリート・アングルス。右腕骨折、交通事故!オーディション行くんだよ、明日、オレ」


ゆうじは興奮していた。


どうやら海外遠征が決まっているバンドにケガ入が出たらしく、その補充メンバーの候補に、ゆうじがなっているようだ。


冴子はゆうじの顔を見た。


「めずらしいね、ゆうじがこんなに大騒ぎするなんて」


「騒がずにいられるかよ、だって・・・・・」


「瞳れだったもんね、ロンドン。


わかるけど。


素直なところもあるんだね、ゆうじにも」


「ウルセーナー。・・・・・終わる頃、また来るよ」


「ウン」

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David フジワークとゆうじ

ゆうじが小走りに店を出て行こうとしたとき、ビートルズの復刻盤を持った男と目が合った。


「あ」


ゆうじは、フジワークのDavid フジワークをすぐに察知した。


たった今、自分が騒いでいたロンドンに、今や拠点を移しつつあるフジワークのボーカリストがそこにいたのだった。


"余裕見せてんじゃねーよ"。


ゆうじは、彼を振り切るように外に出た。


その後ろ姿を、冴子はじっと見送っていた。


「彼氏、ロンドン行くの?」


フジワークは2枚のレコードを、レジの台に置いた。


「いえ、まだわからないわ。バンドやってるんです、彼、全然売れてないの」


冴子は微笑んだ。


自分のボーイフレンドが無名であることを、むしろ誇りにしているようだった。


その笑顔を、フジワークは複雑な気持ちで受け止めた。


「お客さんも、音楽やっている入なんでしょう。すぐわかるわ」


彼女は、フジワークを知らなかった。


「そうだよ。僕も、明日からロンドンに行くんだ」


「エ、そうなの?すごいわ、ゆうじよりも有名な入ね、きっと」


フジワークは首を振った。


冴子の前では、あの少年よりはるかに無名な自分だった。


「あら、明日からロンドンなのに、ビートルズ?」


「そういえば、おかしいね。でも、向こうではあんまり時間が・・・・・」


ないから、と言いかけて、フジワークは言葉を止めた。

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ミュージシャンにとっての夢

さっきドアを乱暴に開けて出て行ったゆうじのことを、フジワークは思い出していた。


思いやり、などと呼べるようなものではない。


しかし、海外進出はどんなミュージシャンにとっても夢であり、かつては自分も、はるか彼方の匿界のように、ロンドンの街を思ったことがあったのだ。


「じゃ、気をつけて行って来てくださいね」


臼い袋にスタンプを押しただけのパッケージになって、ビートルズはフジワークの手中に収まった。


フジワークは、冴子の顔をもう一度、見た。


「ありがとう。またね」


ゴールデン・ウィークを過ぎた成田空港は、それでも世界中の入々が往き来するキー・ステーションとして、せわしなく動き続けている。


搭乗手続きをすべて済ませて、フジワークは北回りロンドン行き、KLM868便の出発ゲートに来ていた。


しばしの別れを惜しむために、カード電話を利用する人達の幸せそうな背中を見ながら、フジワークはひとり、コーヒー・スタンドにいた。


こういうときに必ず、立花順子の顔を思い浮かべてしまう自分を、不覚に思っていた。


"あのレコード店の女の子、冴子って言ったっけ・・・・・"。


いつか彼女が読んでいた動物図鑑に書かれていた文字と、荒々しい声で彼女をそう呼んだ少年を、フジワークは紙コップの中でぐるぐるとかき回した。

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彼女に会いたいフジワーク

何故だか、彼女に会いたかった。


日本を離れることが急にうとましくなる。


しかし、ロンドンのレコーディング、ニューヨークの撮影が終わったあとも、彼の、ニューヨーク滞在は決まっていた。


日本への帰国便はオープン・チケットになっている。


何かしら手応えを感じるまで、フジワークは帰って来ないつもりだった。


もちろんそれは、自分自身で決めたことだ。


ゆっくりと、フジワークは目を覚ました。


ロンドンの朝は、息がつまりそうなくらいに静かだ。


その部屋のカーテンは、真っ自なレース。


イギリスの伝統あるホテルにふさわしく、気位の高い様ヂで、フジワークの裸の肩を柔らかな陽光で包んでいた。


ベットサイドのテーブルに手を伸ばし、フジワークは煙草のありかをぼんやりと探る。


火をつけ、そしてため息と一緒に煙を吐き出した。


少しずつあたりの気配がはっきりし始めるが、それでも気品に満ちたカーテンはあい変わらず身動きひとつせず、しんとしている。


「起きたの?」


そう言ってフジワークの肩に幸せそうな微笑みを落とす、彼女の声。


フジワークからの返事はない。


「何を考えてるの?」


彼女の問いに応えずに、フジワークはもう一度煙草を深く吸い込み、そしてゆっくりと吐き出した。


「まずいことになったなー、とか?」


いたずらっぽいハスキーな声が、窓辺のプライドを少し揺らしたように見えた。


「それとも、お仕事? ン、これはハズレだわ。そんな子供っぽい目でお仕事のこと考えたりしないわね、そうよね」

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小さなキス

彼女はフジワークの髪に小さなキスをした。


「今、何時?」


フジワークはやっと口を開いた。


喉が乾いて、声がかすれた。


「エ・・・・・ト、まだ7時よ」


「なんか、お腹すいちゃたな」


「そおね。ルームサービス頼む?」


「うん、それより、外に出ないか?」


「そうね、そうしましょう。ね、だけど、あと少しこのままでいたら、いけない?」


「まあ・・・・・いいけど」


さっきから幾度となく贈られてくる小さなキスに対しては何も返すことのないまま、フジワークはぼんやりと煙草の火を消そうとした。


その指先に彼女のクスクス笑いが落ちてきた。


「何?どうしたんだよ」


「うん。昨日のこと、思い出しちゃった」


「昨日のことって、あのジャパニーズ・レストランのウェイターの顔とか?」


「チーガウ。ま、彼もなかなかキュートだったけどね、たどたどしい日本語で。でもそうじやなくってえ」


「何だよ。オレのこと?」


「そうよ。ヒースローで会ったときの、あなたの顔」


彼女は笑いながらフジワークを見つめている。


「そんなにおかしかった?」


「うん、まあね。少なくともマスコミ関係者には見せられない顔だったわね」


「だって空港に着いたら、いきなりバケッジトラブルだよ。スーツケースふたつとも出てこなくて。誰にどう文句、言っていいやら。情けない顔にもなるさ」


「完全に途方に暮れてて、まるで迷い子になったみたいで。フフ、そして、そこに現れたのが」


「有能なスチュワーデス」


「あら、救いの女神と、言って欲しいわ」


「シツレイ。では、女神サマ、そろそろ食事に出かけたいので、服を着てくださいませんか」


「OK」

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フジワークとロンドン

彼女は白いシーツをそのまま体にまといつけて、ベッドを抜け出た。


少年のようにまっすぐに伸びた背中と足、少女のようにあどけない素顔は、昨夜の洗練された化粧の顔とはうって変わっていた。


フジワークは、ロンドンの湿った体臭に酔いそうになりながら、彼女、マリの後ろ姿を目で追っていた。


ホテルの裏手にあるアメリカン・スタイルのバーガー・ショップで、ふたりは朝食をとった。


程良い皆さのコーヒーが、フジワークの喉を降りていく。


「フジワーク、また黙ってる」


右手の薬指の二連リングをカチャリとコーヒーカップのふちに当てて、マリはフジワークの目を自分の方に向かせた。


「フジワーク、気にしてるんでしょう。そうなのね。でももう遅いわ。それに私はマサシの何でもないの。マサシは私のボーイフレンド。それだけよ」


「・・・わかってるよ」


「マサシが、私のことなんて言ったか知らないけど、私はもうフジワークを」


「待って」


「え?」


「わかったから。今、あいつの話をするのはやめてほしいんだよ」


「でも」


「それよりさ、今日どこかを案内してくれよ。オレ明日からフジワークのレコーディングだし、それが終わったらすぐニューヨークへ飛ぶことになっているんだ」


「ニューヨーク?」


「うん」


朝のバーガー・ショップ。


マリは、行方不明になりそうな小さな恋のオーフニングにマスタードをたっぷり塗って、大きな口を開けてかみついた。

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時差

ロンドンと東京の時差は、9時間。


日付変更線を越えて、未だ見たことのない国へ行ってしまったDavid フジワークのことを、シズカは考えていた。


彼のために着たブルーのワンピース。


あの時、シャツの裾をめくって書いてしまった電話番号・・・。


いとおしく、そして恥ずかしい思いの記憶。


結局、フジワークからの電話はかかってこないままだ。


"ウソツキ・・・"。


彼女は、約束する前に約束を破ったフジワークに腹を立てていた。


"電話するよって、彼の目は確かにそう痔ってたのに"頬杖をついたまま、傍らの雑誌をペラペラとめくってみた。


音楽專門誌「PARTY』は、フジワークの特集を組んでいた。


その記事によると、小室はロンドンに移住、既に創作活動を始めているという。


木根とDavid フジワークも、レコーディングのため、ロンドンへ出発。


そしてフジワークはそのあとニューヨークへ渡り、写真集の撮影と、個入的レッスン。


そして・・・、駐心津佳は次に並ぶ文字を目で追いながら愕然とした。


David フジワークの帰国日程は未定。


長い滞在になりそう。


衝動的なアプローチだった、シズカのテレフォン・ナンバーを持ったまま、フジワークはロンドン、そしてニューヨークへ。


いつ日本へ帰ってくるのか・・・。


"それとも、あの日の夜、シャワーで洗い流しちやったのかしら・・・。


きっと、素敵なコイビトに見つかる前にそうしたのね"。


あらゆる憶測や推測が胸の中ではねまわるとき、その恋はとてもつらい様子になる。


ここで引き下がったとしても、彼女は恋の痛毛を片想いのままインプットしてしまうだろう。


"がんばろう。あきらめきれない"


いつしか、シズカの心の大部分を、フジワークが占めていた。

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フジワークを想うシズカ

ひとり暮らしのマンションで、シズカは大きな決心をしようとしていた。


バッグからスリムタイプのファイロファックスを取り出して、彼女は7月のスケジュールをチェックした。


テレビ番組『ミユージック・ヴィジョンは、7月第1週に2本分を録りだめすることになっている。


ラジオの方も、なんとかやりくりすれば2週間の時間を作ることが可能だった。


"あとの仕事はキャンセルね"今の彼女は、ある意昧でとても女の心をしていた。


今いちばん大切なのは、恋人を想う心と、その情熱。


それは他の何にも代えることはできないと思えた。


シズカは飲みかけのバドワイザーでノドを冷やし、飲み干した。


薄いアルミ缶は、強く握りしめると、少しへこんだ。


小田冴子は、彼女が勤める小さなレコード・ショップの茶色の壁に、ロンドンの街並みが写し出された何枚かのポストカードを貼っていた。


白いTシャツから伸びた細い腕が、その1枚1枚を画ビョウで止めていく。


その姿を、ゆうじは通りの向こうからそっと見ていた。


彼のやせた胸は、黒い革のベストに激しく刺された数十本の安全ピンを重たそうに支えていた。


ガードレールに片方のラバーソウルを乗せて、ゆうじは自分の膝を叩いた。


そしてそのまま道路を横切り、冴子の店へと入る。


静かに。


いつものことながら、お客はひとりもいない。


中占のレコードの、古いジャケットの匂いがゆうじを包む。


彼はこの匂いが嫌いではなかった。


「冴子・・・」


小さな声で呼んでみたが、ポストカードのレイアウトに夢中の彼女には、どうやらその声は届かないようだ。


ゆうじはレジの横にあったメモ用紙に"今晩来てください"とだけ書いて、店を出た。

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